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弁者に萌えろ デイヴィッド・マクヴィカー演出《魔笛》/Royal Opera House 2

2008年03月20日
ロイヤルのパミーナと、ブレスリク(?)のタミーノ ※アレン弁者に飽きた方は、ランキングでもご覧になりながら話題が変わるのを待ちましょう。

 さて、弁者キャラのベーシックが定まったところで、マクヴィカー演出《魔笛》のテーマにもう少し迫ってみることにします。

 《魔笛》の歌詞や台詞を聞いていますと、耳タコ的に現れるのが「男らしくあれ」という言葉です。

 「男なら沈黙を守りなさい」

 つまり、目指すは高倉健ってコトね!?

 一方、女性については、全体的に否定的。

 「女は喋りすぎるから宜しくない」

 むむむ。黙って聞いてりゃ、何サッ!! まるで初期キリスト教みたいな差別的な思想を感じることよ?

 私、フェミニストじゃありませんけど、なんかムッとしちゃいます。虫が好かんわ、ザラストロ教団。

 《魔笛》を敬遠しちゃう原因にはこれもあるかも。
 音楽だけを聴いていれば、「フムフム、キレイね~」でいいんですけど(ドイツ語わかんないしね)、字幕やリブレットで歌詞の中身を確認しちゃうと、な~んか胸がもやもやします。

 そういや《コジ・ファン・トゥッテ》でもそうだったっけ。

 昔の作品だから仕方ないけど、今の時代に上演するなら少しは配慮しなくちゃいけないわけで、そいういう「もやもや」を解消するのも、演出家の力にかかってくるんだと思います。

 マクヴィカー版ではどうなっているかと言いますと……

 続きを読む前に、ランキングも見てくださいね♪


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 教団の長老であるらしい弁者どのは、この思想にどっぷり染まっている様子。

 弁者どのの書斎には男子と女子、二人の子どもがいるんだけれども、お勉強をさせているのは男子だけです。女子は座って眺めているのみ。
 紫式部と弟の惟規を連想させるようなこの光景。

 弁者どの。少年の教育にはだいぶご執心なようで、常に“セット”で行動しているんです。
 弁者セット

 「ザラストロ万歳」シーンでも、さりげなく教育。
 「あのおじちゃん(モノスタトス)のようになってはいけないよー」
 弁者セット

 今回の公演では、カーテンコールでも“セット”で出てきた。(アレンのアイデアだったんでしょうか)
 とっても萌えるので、それはそれでよろしいのですが。やっぱりね、な~んか引っかかりを感じておったのです。弁者どののえこひいき。

弁者、危うし! ところが。
 この、弁者どのにはさほど大切にされていなかった(?)女子が、重要な役割を果たすのです。

「パミーナは無事か!?」と詰め寄るタミーノを、弁者は「語ることは許されていない」と突き放し、そのまま退場となるのですが、その時、この女子がすっと立ち上がって舞台の隅に残るのね。

 こっそりと。「弁者どのに悟られないように」という風情です。

女子 そして、「姿の見えぬ者よ。語ってくれ。パミーナは生きているのか?」と煩悶するタミーノにそっと近づき、

 「生きている」

 と、告げる。

 このシーン。ご存知の通り、タミーノに語りかける“声”は舞台袖からの合唱です。もちろんこの演出でも変わりませんが、あたかもこの少女が遠い地響きのような声で真実を告げたかに見えるのです。

 禁じられたことを語った少女。
 頭の固い弁者どのにバレたら、「女のお喋りはわざわいだ」とばかりに折檻されてしまいそーですが……(かなり妄想入ってます。すんまへん)

 少女の「告白」はわざわいどころか、良い結果を呼び込みました。

 喜んだタミーノが感謝を込めて笛を吹くと、獣たちが集まってきてダンスをします。

 この獣たち。猿、虎、熊、鷲(?)、いろいろな種類がいるんですが、よく見ると、みんな「つがい」なの。雄と雌のペアなんです。
 それを強調するかのように、動物の面をつけている役者さんたちの服装、男女の違いがちゃんとわかるようになっているんですよね。

 ここで今度は「ノアの箱舟@生めよ殖やせよ」をイメージしてしまった私。舞台を観ながら、子どもの頃から不思議に思っていた《魔笛》キャラのネーミングに思いを馳せ始めました。

 タミーノ に パミーナ

 パパゲーノ に パパゲーナ

 なんて芸の無いネーミングなんだろうと、子どもながら不満に思っていたものです。
 「アキオ」の恋人は「アキコ」です、って言うのと同じですもんね。

 けれども、「つがい」という発想を得たとたん、この単純なネーミングがとても納得できるようになったのです。

 男と女。オスとメス。

 マクヴィカーのこの演出は、いわゆる“性の神秘”に着目したものではないかしら、と。

 と言っても、イヤらしかったり生々しかったりするシーンは皆無です。大変上品かつユーモラスな“絵”に仕上がっていますが、そういえばパミーナの服装は胸の谷間があらわでセクシーです。
 パパゲーナはパパゲーノのズボンを脱がして、大きなお尻でどっかり跨っちゃいますしね。

 「パパパ」の二重唱なんて、元々子作りの歌ですけど、モロにベッドの上です。

 動物が出てきたりして大変カワイイ演出なのに、そういう部分だけは露骨だよなぁ~と思っていたのですが。ウン、納得。

 そもそも、このパパゲーノ。タミーノと共にに「沈黙」の試練を受けて、落第しているわけです。だから、ザラストロ教団の掟によれば、パパゲーナと結婚はできないはず。
 なのに、ハイ、ハッピーエンドになっちゃった。

 タミーノも、炎と水の試練のために、パミーナと涙の別れをしたはずなのに。
 パミーナが勝手にタミーノを追っていって、二人で力を合わせて試練を乗り切った。
 そして「光」を手に入れて、邪悪な闇を打ち払った。

なにげに感動したこのシーン このあたり、台本に一貫性が無いと言ってしまえばそれまでなんだけれども、こう考えることはできないでしょうか。

 人は本来、男女の“つがい”が、自然で、在るべき姿なのであって、どちらの性も欠くことはできない。

 タミーノが「光」を手に入れることができたのも、パミーナの力があったから。


 闇に打ち勝つ、子作りパワー!!
 (↑いやいや…;;;)


 ザラストロ教団の思想は、ちょっと間違っていたのかもしれません。
 “つがい”を否定する老弁者は、かつてタミーノと同じ「光」を追い求め、いまだ得られずにいるのですから。(少年は弁者の子ではなさそうですしねぇ)

 対するタミーノは、魔法の笛を吹き鳴らし、獣たちの営みに真実を見ます。ここに弁者との決定的な差が存在する。

 また、
「なんで試練なんて受けにゃならんの? オイラ、そんなら独身でいーや」
 そう言って教団のやり方を拒否したパパゲーノも、自然児であるがゆえに正しかったというわけです。

 弁者の扱い方にほんの少し凝っただけで観客にアレコレ想像させて、既成の物語のなかにもう一つ、こちら好みの物語を入れ込むことができるくらい懐の深いマクヴィカーの演出。
 演出に限らず、全てのエンタテイメントは受け手との「対話」であるべきですし、「苦手」と言いつつ連日3回もの鑑賞に私が耐えられたのは、まさにこの「対話」があったからだと思います。

 モチロン、アレンが弁者を演っていなけりゃ、ここまでヘンタイ的にのめり込むことも無かったでしょうが(笑)


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